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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
枕山は維新の後に至るまで永くこの新居を去らなかったという。わたくしは下谷区役所に赴き明治五年調査の戸籍簿を見た。これが同区役所最古の戸籍簿だという事である。それには「明治五年壬申十一月入籍、仲御徒町三丁目七十一番地、田屋伝内借地居住、父故幕府旗本大沼次右衛門亡、明治十六年十二月隠居、大沼厚。」としてあって、次に継妻うめの名が載っている。
仲御徒町三丁目は上野広小路三橋より少しく南に下った処から東に入って、俚俗摩利支天横町を行尽し、鉄道線路を踰えたあたりである。枕山の家は忍川の溝渠に架せられた三枚橋の南側にあったという事であるが、今日溝渠は既に埋められて橋の跡も尋ねにくくなったので、従って枕山の邸址も唯番地によってこれを探るより外に道がない。
枕山が維新後の住所の番地については明治七年九月松浦宏の作った『東京大小区分絵図』第三号仲御徒町三丁目四十番地の処に大沼枕山と明記されてある。また翌八年十一月出版の『下谷吟社詩』三巻の奥附面にも仲徒士町三丁目四十番地としてあるが、明治十一年十月出版の『江戸名勝詩』には町の名も変って単に御徒町三丁目四十番地としてある。