轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

按ずるに結城の藩中は維新の際佐幕と勤王との両派に分れ、時の藩主水野勝知は二本松の城主丹羽氏より出でたもので、上野の彰義隊と気脈を通じて結城の城に拠ろうとした時、勤王党の藩士はこれと戦って火を城に放った。これがため結城藩の記録文書は悉く烏有となったので、後年文部省が『日本教育史資料』を編纂するに当って、同藩学館の沿革を調査することができなかったのであろう。

毅堂はこの年嘉永壬子の夏六月に至って時習館の教授を辞して江戸に還り、名を宣光、字を重光と改めた。通称郁太郎を改めて貞助となしたのも恐らくこの時であろう。爾後幕府は復び毅堂が出版物の罪を問わなかったという。これらの事と毅堂が帰府の年月とは、明治九年佐田白茅の編輯に係る月刊雑誌『名誉新誌』第十七号以下に載せられた毅堂の小伝に見えている。

毅堂の江戸に還り来ったころ大沼枕山は伊香保に遊びまた房州に鈴木松塘を訪い、秋に入るを俟って家に帰った。しかしこの年中秋観月の会は八月十日に風雨の荒狂ったためかそのまま催されずにしまったようである。枕山湖山二人の集を検するに、いずれもこの年には中秋の作を見ない。八月十日の風雨には親船が永代橋に衝突して橋を破壊したと『武江年表』