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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
この年三月某日毅堂は江戸橋の或料理屋で長州の人吉田松陰と相会した。『毅堂丙集』巻之五に見る所の詩の題言中に、「余往歳吉田松陰ト江戸橋ノ酒楼ニ邂逅ス。曰ク我マサニ遠行セントスト。ケダシソノ亜舶ニ投ゼントスルノ前数日也。」と言っている。松陰がその門人渋木重之助と共に下田の米艦に投乗せんとして捕えられたのはこの年甲寅の三月二十一日である。そもそも毅堂が初めて松陰と相識ったのは去年癸丑の夏のことで、毅堂の旧友松浦武四郎が松陰を伴って、毅堂を訪問したのである。この逸事は『毅堂丙集』巻之五の評註の中松浦武四郎の記する所である。しかし御徒町卜居の以前毅堂の那辺に居住していたかは詳でない。かつまた吉田松陰と江戸橋の酒楼に邂逅した前後の関係もまたこれを審にすることができない。
わたくしはまた毅堂が七月中甲州に遊んだことをこの年安政紀元の頃ではないかと推測している。安政五年の春に編成せられた『近世名家詩鈔』に毅堂の作中「七月廿日乞暇遊甲斐留別諸友人。」〔七月廿日暇ヲ乞ヒテ甲斐ニ遊バントシテ諸友人ニ留別ス〕と題して、「一双遊屐蝋成新。擬賞江山未了因。但覚君恩於我渥。