轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
これに依って弘庵は家に還ることを得たが牢内の湿気に冒されて水腫を患い、七月十三日二度目の呼出を受けた時には、駕籠に乗り肩衣をその上に掛けて行った。これは歩行することのできない病人が尋問を受ける時の礼儀だということである。十月二十七日最終の申渡のあった時には病も既に癒えていた。弘庵の罪状は紀伊家の用達世古格太郎に書面を送り水戸家に下賜せられた攘夷の勅諚は偽書であるが如き風説をなして人心を騒し、かつまた、評定所の尋問に対して前後相違の申開をなしたのは儒を業とし人の師となる者の為すべき所でないというにあった。中追放の申渡が済むや否や、同心が縁側から弘庵を突落したので、弘庵は脚を挫いた。以上は坂田篁蔭の『野辺の夕露』に記載せられた文の大意である。弘庵は下谷長者町の家を追われて行徳に移居し、文久二年壬戌十月そのまさに死せんとする頃赦されて江戸に還った。
下田奉行手附大沼又三郎もまたこの疑獄に連坐して押込五十日の申渡を受けた。それは十月七日で、頼三樹三郎、橋本左内らの死刑を宣告せられた日である。又三郎の罪状は詳でない。わたくしは『水戸藩史料』、『嘉永明治年間録』