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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
甲丙の二集は板刻せられたが、乙集はその編集の由来が函峰の文集中に見えているのみで、遂に板刻せられずに終ったものらしく思われる。わたくしはこの乙集を見る機会のないのを悲しんでいる。
毅堂甲集なる『親灯余影』の如何なる書であるかは、羽倉簡堂の序によって推測されるであろう。序に曰く「忽ニシテ経典ヲ弁証シ忽ニシテ舛漏ヲ穿鑿シ忽ニシテ名物ヲ考訂シ忽ニシテ軼事異聞ヲ鈔録ス。譬レバ山陰道中峰ヲ廻リ路ヲ転ジ歩々観ヲ異ニスルガ如シ。近日余病ニ臥ス。尊著ヲ得テ一読シトミニ二豎ノ体ニアルヲ忘ル。今渡辺生ニ托シテコレヲ還ス。然レドモ僅ニ半部ヲ閲スルノミ。蔗境イマダ尽サズ。殊ニ※然タルヲ覚ユ。更ニ後巻ヲ送致セヨ。至望至望。壬戌ノ春。羽倉用九識。」
羽倉簡堂はいくばくもなくしてこの年七月三日に没した。享年七十二であった。
三月十五日に侍講成島確堂が広瀬青村、大沼枕山、鷲津毅堂、植村蘆洲、小橋橘陰の五子を招ぎ満開の花を看にと舟を隅田川に泛べた。確堂らの一行は偶然大槻磐渓、桂川月池、遠田木堂、春木南華らの同じく妓を舟に載せて来るに会い、互に快哉を呼んで某楼に上り満月の昇るを待って長堤を歩んだ。