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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
小島侯亀山侯モマタ糧ヲ※(「飮のへん+氣」、第4水準2-92-67)シテ経ヲ問フ。」云々。わたくしは震災の数日前下谷竹町の邸に伯父文豹を訪うた時、その客室に「遷喬書屋。丹治瑩斎。」となした古びた一※(「匸<編のつくり」の「戸」に代えて「戸の旧字」、第4水準2-3-48)額の懸けられてあるのを見た。この額の筆者丹治瑩斎というのは毅堂の仕えた久留里の藩主黒田伊勢守直質の雅号であろう。丹治氏は黒田の本姓である。毅堂は致仕の後も久留里藩から三人扶持を送られまた丹波亀山の松平豊前守信義とその姻戚なる駿州小島の松平丹後守信進との両家からも扶持米を受けていたのである。
十二月十四日、枕山の旧友竹内雲濤が池之端仲町の家に没した。武田酔霞の『墓所集覧』には享年四十九歳、東本願寺末清光院に葬られたとしてあるが、『事実文編』所載の墓誌には十一月二十八日没、年四十八、本郷の某寺に葬るとしてある。墓誌は西島秋航の作る所、次の如くである。「酔死道人没ス。ソノ妻村山氏道人ノ遺墨ト柿木ノ彫几ト己レノ糸累黍積スル所トヲ出シテ不朽ヲ謀リ、文ヲ余ニ請フ。道人諱ヲ鵬、字ハ九万、別ニ雲濤ト号ス。