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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

明朝直ニ西セン耳ト。余コノ言ヲ聞キテ甚コレニ感ズ。時ニ亥之吉年十六。他日ノ成業是ニオイテカ見ルベシ。」

慶応二年六月八日毅堂は高弐百俵に御足高若干を給せられた。『日本教育史資料』に曰く、

「元千代様御読書御相手御用并に侍講是迄の通相勤候様にとの御事に候。御留書頭之当番并に奥入御免遊ばさる。」

「同年九月二十四日御側物頭格明倫堂教授被仰付。」

「同日当分の内明倫堂督学勤向相勤候様にとの御事に候。」

「同日元千代様御読書御相手御用并に侍講是迄の通相勤候様にとの御事に候。右に付奥入御免被遊。」

毅堂の妻美代が六歳になる長女恒と二歳になる俊三郎とを引連れて江戸より名古屋に赴いたのはこの年の暮か、さらずば翌年の春であろう。慶応四年正月に三男留次が生れているからである。

この年慶応二年中江戸における枕山の生涯をその『詩鈔』について窺うに、六月十八日枕山は関雪江その他の詩人と「浅草水寺」に会して菊池五山が十七年忌の法会を営んだ。五山が絶筆の韻を次いで枕山は「五門諸彦散。頼有我徒同。蓮寺以詩会。如参氷社中。」〔五門ノ諸彦散ズ/頼ニ我ガ徒ノ同マル有リ/蓮寺詩ヲ以テ会ス/氷社ノ中ニ参ズルガ如シ〕と言っている。