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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
然るに年々の『武鑑』は文政六年に至っても竹渓の住所を麹町三丁目となしている。『武鑑』は竹渓が住所の変更をそのまま改正せずに置いたものであろう。
わたくしは竹渓が晩年移居した地を下谷御徒町と定めている。それは大沼枕山の遺族を訪問した時、わたくしは特に許されて枕山が誕生の時の臍の緒書を見た。臍の緒書には「文政元戊寅年三月十九日暁六ツ時於下谷御徒町拝領屋敷誕生、父次右衛門儀小笠原弾正組之節」〔文政元戊寅ノ年三月十九日暁六ツ時下谷御徒町拝領屋敷ニ於テ誕生ス、父次右衛門ノ儀小笠原弾正組ノ節ナリ〕と御家流の筆致で書いてあったが故である。拝領屋舗は伊予の国大洲の藩主加藤家上邸の門前にあったという話である。
『竹渓遺稿』に「移居ノ後人ニ示ス。」と題して、「家縁易了一茅廬。五畝於吾尚有余。老脚只貪平地穏。下山近水又移居。」〔家縁易ヘ了ル一茅廬/五畝吾ニ於テ尚余リ有リ/老脚只貪ル平地ノ穏ヤカナルヲ/山ヲ下リ水ニ近ヅカント又移居ス〕の絶句がある。麹町の山の手から下谷御徒町に移った時の作と見れば、老の歩みに坂のない平地をよろこぶ情景言い得て最も軽妙である。「下山近水又移居。