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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

匡温は曾祖父星渚に肖て学を好み十二、三歳にして夙く詩を賦した。初め知多郡大高村長寿寺の住職鷲巣上人青木可笑に学び、毅堂の名古屋に来るに及んでその塾生となった。明治元年九月毅堂の徴士となって京師に赴くや、匡温これに随って倶に三条河原の客居に寓した。明治二年の春師の東行するに及んで、匡温は一たび鳴尾村の家に還り五月十六日家を辞して東京に来り、師が皀莢阪の官舎に寄寓し開成校に通学するの旁贄を大沼枕山に執った。わたくしは先考の故紙中に束脩二分月謝一分を枕山に贈ったことの記録せられているのを見た。当時森春濤、青木鷲巣、神波即山らかつて先考の郷国にあって詩を学んだ先輩は、なおいまだ上京していなかったのである。先考は明治二年には年十八。その師毅堂は早や四十五歳である。

毅堂が陸前の国登米に赴いた時の状況は幸にしてその著す所の『赴任日録』に詳である。『日録』の巻首に枕山が送別の絶句が掲げてある。「豈比当時遷謫流。東方地大古諸侯。金華松島供遊記。得意還為柳柳州。」〔豈ニ比センヤ当時遷謫ニ流サルルニ/東方地大ニシテ古ノ諸侯/金華松島遊記ニ供ス/意ヲ得ルモ還タ柳柳州ト為レ〕