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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
その説く所は宋儒の註釈した孔孟の教義には註釈者の私見が混っているので、真に孔孟の教を伝えるものではない。真正なる孔孟の教を知らんとするには先宋儒の説を排斥し唐以前漢魏の古文について研究すべきである。この研究にはまず古文を読むべき階梯として古文辞を修めなければならない。また文章の模範は漢魏を専らとなし、詩賦は盛唐を以て規矩となすべきことを主唱したのである。荻生徂徠は明代の学者の説いた所をそのままわが元禄時代の学界に移し入れた。我が国人に取って海外の新説はいつの時代にあっても必歓迎せられ、またいつの時代にあっても必相応の効果を成すものである。江戸の詩文はその創始の時代において夙に林羅山の如き、後に新井白石の如き名家を出したにかかわらず、なお容易にその継承し来った五山僧侶の文学の余習を脱却し得なかったのであるが、一たび徂徠の古文辞を唱えてよりここに始めてその形式と体例とを完成し、その感情と思想とを豊醇ならしむる事を得るに至った。しかしながら明の復古学は元来古文辞の研究にのみ重きを置いたがため、徒に形式修辞の末端に拘泥する傾があったので、これを祖述した徂徠の末派に至っては、正徳享保の盛時を過ぎて宝暦明和の頃に及ぶや早くも沈滞して、当初の気魄を失い、遂に一転して蜀山人らが滑稽なる狂詩を生むに終った。