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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
大沼枕山、鷲津毅堂ら後進の士とも交遊のあったことはその詩賦にも見えているがしかしその作の成った年月を審にすることができない。牧山の伝は死後門人の刻した『木曾紀行』の巻尾に審である。これによればその没したのは明治二十四年二月十四日にして享寿九十一である。
牧山が『老子講義』六巻の自序に、「始余ノ昌平黌ニアルヤ寺門静軒マサニ駒籠ヲ去ラントシ、余ニ講帷ヲ嗣ガンコトヲ勧ム。時ニ余一貧洗フガ如シ。コレヲ大沼竹渓翁ニ謀ル。翁大ニ以テ可ト為シコレヲ慫慂ス。乃チ屋ヲ駒籠亀田鵬斎ガ故居ノ近傍ニス。前ハ老杉ニ対シ、後ハ則チ密竹掩映ス。破屋数間、蕭然タル几案、始メテ老子ヲ講ジヌ。後ニ市ヶ谷ニ移居ス。」云々としてある。牧山は枕山の父にして鷲津松隠の兄なる大沼竹渓の援助を俟ち、その頃駒込に私塾を開いていた寺門静軒が他処に移るに際し、その後を受けついで始めて『老子』の講義をなしたのである。自序中の語より推察するに文政七、八年のことで、牧山は年二十四、五の時である。寺門静軒は駒込を去って浅草新堀に移ったのであろう。
鷲津松隠の没した時、嫡子益斎は年三十三。孫毅堂は年十二。森春濤は年十八である。