轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
所載の作に見えている。作の題言に、「翠麓筑山ノ二先生ト同ジク新見伊州君ガ茅山ノ別業ニ遊ブ。」といい、また作中に「晩春仲五日。節属養花天。追陪両夫子。始此接芳筵。」〔晩春仲五日/節ハ養花天ニ属ス/両夫子ニ追陪シテ/始メテ此ニ芳筵ニ接ス〕の如き句がある。成島稼堂の死後その子柳北は初晴潭について詩を学んだようである。晴潭が生死の年月はいずれの書にも記載せられていない。わたくしは偶然遠山雲如が『墨水四時雑詠』の序によって、晴潭は雲如と同庚であることを知った。則文化七年庚午の生である。その没したのは安政三年丙辰八月二十五日、江戸の市街が風雨海嘯の害を被ったその夜である。この事もわたくしは成島柳北の『硯北日録』と題せられた日誌を見て初めて知ったのである。日誌の文では晴潭の死したのは病のためであったか、あるいは風災のためであったか明でない。それ故ここに日誌の文を抄録する。「廿六日庚戌。晴又有熱。似七月中旬。早起点検。墻垣尽仆。樹木半倒。(略)侯邸吏舎。商店農廬。或砕或傾。有水升屋。有風奪簷。噫亦甚矣。昨夜舟橋秋月没矣。吾聞訃慟而已。天何為者哉。(略)」〔廿六日庚戌。