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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

第三十五編に詳である。

この年辛丑十月に枕山は下総結城に赴き十一月半頃まで弘経寺に留っていた。『枕山絶句鈔』辛丑の集に「結城雑題寓弘経寺。」〔結城雑題弘経寺ニ寓ス〕と題する作四首がある。また「十一月十六日発結城赴関宿。」〔十一月十六日結城ヲ発チテ関宿ニ赴ク〕となすもの二首。「刀川舟中同梅痴上人。」〔刀川舟中梅痴上人ニ同ズ〕となすもの四首が載せてある。梅痴上人釈秦冏が結城弘経寺の住職となったのはこの時であろう。梅痴は弘化三年丙午の冬下総飯沼にある同名の弘経寺に転住するに莅んで、「双林投老閲六年。」〔双林投老六年ヲ閲ス〕と言って、結城の寺に六年間いたことを明にしている。弘化丙午より六年前は則天保十二年辛丑の歳である。

結城の弘経寺は寂寞たる山間にあって、猿の声悲しく風の甚寒い処であったことは、梅痴枕山二家の作にしばしば言われている。また弘経寺のある処は上野下野常陸三州の国境になっていることも二家の詩賦に見えている。梅痴が「結城山寺雑題」に「山囲孤寺雪霜早。地接三州肥瘠並。」〔山ハ孤寺ヲ囲ミテ雪霜早ク/地ハ三州ニ接シテ肥瘠並ブ〕の如き対句がある。

枕山は結城の山寺に年を送ったらしい。