轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

アヽ余ノ翁ニオケルヤ文字ノ交ニ非ラズ。慷慨ノ意気相投ズル者。」としてある。星巌の江戸を去ったのは弘化二年の夏の末である。そして毅堂がその母に別れて東行の途についた時雪が降っていたという事を思合せると、それは冬でなければならない。毅堂は弘化二年の冬も残り少くなった頃、江戸に到着するや直に昌平黌の寄宿寮に入り、翌年正月火災に遭ったわけである。

これより先毅堂は天保十三年十一月二十八日にその父益斎を喪ったことはこの書の第十一回に述べて置いた。毅堂はそれより三年の後弘化元年某月、その齢二十歳の時、先考の遺命を奉じて伊勢安濃津に赴き、藤堂家の賓師猪飼敬所について主として三礼の講義を聴いていたのである。毅堂の碑文に、「年二十。考既ニ亡シ。マサニ遺命ヲ奉ジテ遊学セントスルヤ、妣コレヲ戒メテ曰クワガ門中ゴロ※ル。汝当ニ勉学シテ再興スベシ。然ラザレバワレ汝ヲ子視セジト。因ツテ手ヅカラ紅白ノ帛ヲ剪リ、コレヲ襟ニ結ビ以テ遺忘ニ備フ。君泣イテコレヲ拝シ、伊勢ニ赴キ敬所猪飼氏ニ従ツテ学ブ。既ニシテ江戸ニ遊ビ昌平黌ニ入ル。」としてある。碑文は中洲三島毅の撰したものである。

猪飼敬所は当時博学洽識を以て東西の学者から畏敬せられていた老儒である。