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かげおとこ
影男
江戸川 乱歩
「面白倶楽部」1955(昭和30)年1月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 154,133 字 · 310 页
比佐子は何かにとりすがろうとして、手をのばして砂をつかんだ。しかし、そこも同じどろ沼であることがすぐわかったので、あわてて手を引きもどした。堅い地面のように見えていて、砂の層の下は、手の届くかぎりどろ沼であることがわかった。目の前に砂がある。地面がある。しかし、それは彼女をささえる力がないのだ。固体ではなくて、半流動体なのだ。すぐ向こうに、彼女の連れの女が倒れている。その女は沈まない。どろ沼は比佐子の周辺だけなのだ。あすこまで行けばいい。ほんの一メートル歩けばいい。しかし、どうして歩くのだ。ももまで吸いこまれていて、どう身動きができるのだ。
比佐子は美しい女の一寸法師に見えた。スカートが浮いているので、ももから上だけの人間のように見えた。その一寸法師が苦悶している。美しい顔をけだもののようにゆがめて絶叫している。その声をだれかに聞かれやしないかと心配になった。だが、だいじょうぶだ。それを救いを求める声だと悟られるほどの近さには、一軒の人家もないのだ。遠くの家にかすかに聞こえたところで、犬の遠ぼえほどにも感じないだろう。
もう腹まで沈んでいた。これほどの恐怖がまたとあるだろうか。