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さいしゅうせんそうろん
最終戦争論・戦争史大観
石原 莞爾
石原莞爾『最終戦争論・戦争史大観』。同一底本的分册已合并为一书。收入:最終戦争論、戦争史大観。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 154,783 字 · 305 页
全般の形勢は連合側に不利であったが、英国の斡旋で大王は六月十一日墺軍とブレスラウの講和を結び、シュレージエンを獲た。
2、第二シュレージエン戦争(一七四四―四五年)
大王が戦後の回復に努力しつつある間、墺英両国は仏・巴軍を圧してライン河畔に進出した。大王はいたずらに待つ時は墺国より攻撃せらるるを察知し、再び仏・巴と結び一七四四年八月一部をもってシュレージエン、主力を以てザクセンよりベーメンに入り、九月十八日プラーグを攻略した。プラーグ要塞は当時ほとんど構築せられていなかったのである。大王は同地に止まって敵を待つ事が当時の用兵術としては最も穏健な策であったが(大王自身の反省)、軍事的に自信力を得た大王は更に南方に進み、墺軍の交通線を脅威して墺軍を屈伏せしめんとしたが、仏軍の無為に乗じて墺将カールはライン方面より転進し来たり、ザクセン軍を合して大王に迫って来た。カールの謀将トラウンの用兵術巧妙を極め、巧みに大王の軍を抑留し、その間奇兵を以て大王の背後を脅威する。大王が会戦を求めんとせば適切なる陣地を占めてこれを回避する。大王は食糧欠乏、患者続出、寒気加わり、遂に大なる危険を冒しつつ、シュレージエンに退却の余儀なきに至った。