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はなとりゅう

花と龍

火野 葦平

花と龍「読売新聞」読売新聞社、1952(昭和27)年6月20日~1953(昭和28)年5月11日<br>あとがき「花と龍(下巻)」新潮社、1953(昭和28)年7月31日<br>解説「火野葦平選集 第五巻」東京創元社、1958(昭和33)年

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 410,131 字 · 824 页

青空文庫

(あたしを、騙すなんて……)

町で見た金五郎と、市松模様の芸者との姿が、マンの人のよさと愚かさとを嘲笑うように、空間に、ぽっかりと浮かぶ。それを打ち消すように、マンは、眼をつぶって、はげしく頭を振り、ぎりぎりと、歯がみした。

(どうして、やろうか?)

夫を信じきっていただけに、反動が大きかった。

深夜に近くなって、あたりは森閑としている。釜を洗いはじめるころまで、裏の病院から、重病人の呻き声が、東風に乗って聞えていたが、ひとしきり廊下を走る音、がやがやとざわめく声がしたと思うと、静かになった。死んだのかも知れない。

猫が、竈の上で、眠っている。

マンは、釜をきれいに洗って拭き、台所の一角にある、「荒神様」の神棚に供えた。菜種油の入っている土器に、燈心をかきたてて、マッチで、火をつけた。

静かに、合掌し、柏手を打った。その手の音が、しいんとした家の中に、不気味に、こだまする。猫が、ちょっと眼をさましたが、すぐに、また、ものうげに、眠ってしまった。

マンは、奥座敷に入った。

(どうせ、今夜は、帰って来ないに定まっとるわ)

そう思ったけれども、とり乱して、金五郎とお京のいるところを、探しに出かける気持はなかった。