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はなとりゅう
花と龍
火野 葦平
花と龍「読売新聞」読売新聞社、1952(昭和27)年6月20日~1953(昭和28)年5月11日<br>あとがき「花と龍(下巻)」新潮社、1953(昭和28)年7月31日<br>解説「火野葦平選集 第五巻」東京創元社、1958(昭和33)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 410,131 字 · 824 页
異様な恐怖の表情が、どの顔にも、満ちていた。誰も彼も、酔いなど醒めはてた顔である。
長屋は、瞬時に、大混乱におちいった。
森新之助が、血相変えて、自分の家の方へ駈けだして行った。跣足になり、緒の切れた下駄は、両手につかんでいる。
井戸端の横を通りさま、
「玉井、その折詰、食べなんな。死ぬぞ」
そう叫んで、走り去った。
戸板に乗せられて、ぐったりとなった助役が、五六人にかつがれて、やって来た。口辺に、ねばねばした黄色い粘液がまつわりつき、三角眼は白くなって、眉がつりあがっている。それでも、まだ、視力はあるとみえて、金五郎をみとめると、
「玉井、……仇を討ってくれ」
と、硬ばった唇で、とぎれとぎれに、呟いた。
「どうしたんです? ボーシン」
「やられた。……毒を盛られた。……大村の奴、喧嘩に負けやがったもんじゃけ、仕出し屋を抱えこんで、弁当に、毒を入れやがったんじゃ。……畜生」
マンは、おどろいた。
「シロ、シロ」
と、狂気のように、叫んだ。
金五郎と話をしている間に、マンの前だれを抜けだした猫が、井桁に置いてあった折詰を、下に引きずり落して、食べている。泥溝に落ちて、腹が減っていたとみえ、蓋をかき破って、イカのサシミ、焼き鯛、カマボコなどは、もう、あらかた、かたづけていた。