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まと

魔都

久生 十蘭

「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页

青空文庫

さて加十が鶴子の様子を見ると、まさに生色を失わんとする危急存亡の場合と見て取ったから、言うまでもないことだが大いに狼狽し、時借りのタキシードが皺になるのも厭わずいきなり鶴子をすッとこ脊負いにすると一切夢中で有明荘へ取って返し始める。

場所も淋しい星ヶ岡、光も凍る午前四時、片側は土手、片側は松と杉の植込みに、根には小笹のサラサラと、足に障りていと狭き、真暗がりの胸突坂。脊中に阿鶴はと見れば浮世絵の式に蹴出した真っ赤な下着の間から婀娜っぽく白い脛を突き出し、月に向ったその顔は眼元を皺ませてさながら笑っている風。時刻も時刻なり、こういう味な小径を夜目にもしない嬌態纒綿たる盛装の美人を引っ脊負って行くのだから、知らぬ者が見たら粋気筋だと思ってずいぶん羨ましがらぬでもないが、実を明せば脊中なる阿鶴はその時すでに絶命しているので。

が、加十はそんなこととは知らない。一刻も早く有明荘へと辿り着き、手当をして何とか一命をとりとめてやらねば、とただその事ばかり考えながらしきりに足を早やめるが、径の上には到るところに五位鷲の糞があって思うように進まれぬ。ずるりと辷るたびに鶴子の足がヒョイと加十の尻を蹴る。