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まと

魔都

久生 十蘭

「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页

青空文庫

精神の持主であられることが判るのである。風格についていえば、これは一種の韜晦的人物で、我々が詩人とか哲学者とかいうものに近いようである。この賑々しき人生をなぜ韜晦されるのか、それは本筋に関係がないからここでは述べぬが、試みに安南の歴史を繙いて一八八三年の条を読まれるならば自から諒解されることもあるであろう。

宗皇帝が非常な日本贔屓で、仏国の教化を毛虫の如くに忌まれ、仏国総督の不満にも拘らずわざわざ日本から多数の教師を招聘して専心日本の文教をされたことは、前にも述べたが、巴里に遊学して七月十四日に大統領官邸の近くで観兵式を見物した日本人は確かにこの宗皇帝を見知っている筈なのである。

官邸の玄関に設えられた桟敷の上に、モナコやモロッロの王様と並んで、何時の年の巴里祭に見ても、常に悒然たる面持で佇んでいる、日本名を宗方竜太郎というあの黒髭の美紳士がつまり宗皇帝なのだ。

さて安南王はしきりに鍵をガチャガチャいわせていたが、やがて扉を引開けて例の貴人の相を悠然と廊下へ突き出し、加十の肩の上で生色を失っている鶴子を見ると急に鳳眦を釣り上げ、ただならぬ眼付で二人の奇妙な結合を眺め始めた。