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まと

魔都

久生 十蘭

「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页

青空文庫

私です。鶴野噴水です、大変な事が起きたから早く開けて下さい」

と、安南王は一向に驚く気色もなく、

「おお、鶴野君とは意外です、どうしてまた今頃。回礼にしては少し早や過ぎるようだが。……思うにまた鶴子の顔が見たくなったのですね。いや、それはさもあるべきことで」

と例の如くゆっくりとした口調で呟きながら、ガチャガチャと扉を開けにかかる。

安南の皇帝、宗竜王については既に前回でも触れておいたが、皇帝と昵懇な方などはあるまいから、読者の中には小馬鹿にされたような感じで、忌々しがられる向きもないではなかろうと思うから、読者の反感を避けるためにもこれが架空意想の人物でないことを充分に力説しておく方が便利なのである。

前回では竜太郎とか、王様とか、友達扱いにして呼び捨てにしたが、これなる人物は、仏領印度支那に於て五千二百万の民草を統治する、至上至高の皇帝なのである。のみならずすでに日本文学博士の学位を持たれ、また欧州の柳暗花明にも充分に通暁せられる学殖遊蕩ともに誉れ高い粋人中の粋人。

本来ならば、いかなる事情があっても古市加十などが心易く対話など出来る筈はないのであるが、このような素ッ頓狂な雑誌記者輩と引ッつるんで、ほしいままに銀座裏を酔遊なさろうというのは、御微行中という事情ばかりもあろうが、宗皇帝が極めて瓢逸濶達な