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じろきちこうし
治郎吉格子 名作短編集(一)
吉川 英治
Read 治郎吉格子 名作短編集(一) (じろきちこうし) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 178,609 characters · 362 screens
「永い旅でいらっしゃいますか」
「左様さ……かれこれ四、五年」
「おことばの御様子では、上の方……紀州あたりにお見うけいたしますが」
「ウム、よく分るの」
「宅へは、諸国の方が、よくお見えになりますので」
「紀州の者では、誰が来たか」
「え……」と、お稲の目はあわてて、
「あの、お侍様ではございません」
「渡り者か」
三五兵衛はおかしく思った。
だが、村上賛之丞のことを隠しだてする女の気持に、彼は、軽い嫉妬を感じた。そして、自分の妹をさえ父兄に反かせた彼の美貌を、呪いのなかに描いていた。
お稲と賛之丞と――その仲も、しきりと彼は想像してみた。
小篠までの、平坦な道のように、三五兵衛とお稲の話は、一向それ以上すすまなかった。ここでも自分の冷ややかなものが邪魔をして、女の心を寄せつけないのだ。承知はしているが、それだけはどうにもならない三五兵衛であった。
けれど、他人行儀な、今のような会話でも、それが、お稲の白い息にまじって唇を出ると、何か、色をふくんだものとなって、三五兵衛の頬に生温くふれてくる。
とにかく、三五兵衛はこの女に、ある興味をおぼえだした。お稲の眼もそうして男を検めていたが、それはこの女の、どの男にもする所作かもわからない。