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じろきちこうし
治郎吉格子 名作短編集(一)
吉川 英治
Read 治郎吉格子 名作短編集(一) (じろきちこうし) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 178,609 characters · 362 screens
三
――何しろ肉縁を捨てるほどな、覚悟のいることだしまた、家中へも、秘密だ。ぜひとも、うん、といって貰わないうちは」
「じゃ、俺は……」
と、青砥が、言いかけるのを、湧井はあわてて、
「待て待て。――返辞はいつまでか」
「早いに、越した事はねえ。明日のうちにでも」
「じゃ、明夕までに、熟考して」
「花沢屋に泊っているから、そこへ、返辞をしてくれ、待っているぜ」
と、一角は、二人に別れて、宿へ帰った。
三
「なぜ、俺ほど、やくざな人間が、兵部に頼むといわれた時、いやだと、断りきれなかったろう?」
宿屋の一間で、腹ン這いになりながら、一角はまたしても、同じ悔いを、胸の中で、呟いた。
「やっぱり――彼女の魂が、おれを国へ……」
ぽろんと、銀脚の釵を、指先から落して、
「お里のにおいが」
と、ぞっと、背中に寒いものを、感じた。
まだ、女の髪油が、生々と、曇っている。見つめていると、ありし日の女の姿が、ぼっと、眸にひろがって来る気さえする。
かっと一時の感情で、自分の手に斬けた里次の釵――。その生首をつかんで、堀の茶屋へ逃げこんだ際、あの突嗟に、生首は、丁字の木の蔭に埋けたのであるが、釵は、釵だけは――自分が殺した程な女なのに、何となく、捨てきれずに、肌へつけて、持っていた。