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あるはいまつのどくはく

ある偃松の独白

中村 清太郎

春雪写山行「旅」1940(昭和15)年4月<br>黒部川峡谷の話「山岳 第十二年第一号」1918(大正7)年2月<br>枯木の美と怪「国立公園」1952(昭和27)年3月<br>雪山と廃道「山 二巻二号」1935(昭和10)年2月<br>七面山冬ごもりの記「山小屋」1947(昭和22)年<br>黒部川初遡行の追憶「山と渓谷」1939(昭和14)年7月<br>大雪山あれこれ「国立公園」1955(昭和30)年

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 132,905 字 · 262 页

青空文庫

腰をおろそうとして、ためらう登山者もあろう、――これは森の精の用いる、調度ではないかと。

こうした枯木は、山腹に森林をまとった山には、必ず多少は見られる。南アルプスをはじめ、秩父、八ッ、木曾駒などはもとより、北アルプスでも、御岳、乗鞍、鍋冠、大滝、雪倉、朝日などには稀れでない。そこには、それぞれ、おのが好むところに殉じて、悔いのない、尊い姿が見られる。私は、こうした自然の立ち枯れが大好きだ。そこで私は山で、よく枯木の前に画架を立てる。

ところで、そのため、ゆくりなくも私は、枯枝には美の外に、怪があることを、知るにいたったのである。怪とは何?――枯枝が動くのである。風などのためではない、自分から動くのだ。何を馬鹿な……と言い給うか。嘘や冗談ではない。枯枝がいつともなく、形を変えるのだ。もう――十数年の昔になるが、私は二度までそれを経験したのだ。それで山の雑誌に一文を草して(拙著「山岳渇仰」に収む)、読者の一粲に供したが、待望の教示は終に得られなかった。三度目の経験は、戦争末期のことで、ここで初めて、多少立ち入った観察や、考量を加えることができたのである。