轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

あるはいまつのどくはく

ある偃松の独白

中村 清太郎

春雪写山行「旅」1940(昭和15)年4月<br>黒部川峡谷の話「山岳 第十二年第一号」1918(大正7)年2月<br>枯木の美と怪「国立公園」1952(昭和27)年3月<br>雪山と廃道「山 二巻二号」1935(昭和10)年2月<br>七面山冬ごもりの記「山小屋」1947(昭和22)年<br>黒部川初遡行の追憶「山と渓谷」1939(昭和14)年7月<br>大雪山あれこれ「国立公園」1955(昭和30)年

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 132,905 字 · 262 页

青空文庫

う。祖父ガ岳が割あい広い、人口の密な平野に臨んでいるのに比べて、ここでは東麓の村々、それも三岳村の黒沢以上、二、三の小部落が主で、外には王滝村の一部恐らく崩越の奥あたり、それにせいぜい開田村の一隅くらいに限られるであろう(開田は私はまだ歩いていないので、この方面に行かれる方は注意していただきたいと思う)。木曾川の東岸になると、見えても距離が遠いので、力の点で如何であろうか。結局この爺さんは、広く名声を博する代りに、人知れず壺中の天地を深く愛しはぐくんだのであろう。

いずれにしても、この口碑の中心が、黒沢口最奥の山村たる屋敷野であることは、方角や距離の点からも、ほぼ間違いはなく、その発祥の地もおそらくここか、でなければ一段下の羽入あたりではあるまいか。黒沢鎮座の御岳神社里宮(祭神大己貴命)は、延長三年(今を距ること一千十八年)の創建と聞えている。その頃わが祖先は、果してどの辺まで入り込んでいたであろうか。とにかく「爺さん」の誕生も、かくて杳窕たる時の霞の奥にあることが想像されるのである。

その屋敷野(海抜千余メートル)からは、実に御岳東面(この山の表側と見なされる)のほとんど全貌が仰がれ、南は三笠山から北は継子岳にわたり、蜿蜒一連の山脈の勢いをなしている。