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あるはいまつのどくはく
ある偃松の独白
中村 清太郎
春雪写山行「旅」1940(昭和15)年4月<br>黒部川峡谷の話「山岳 第十二年第一号」1918(大正7)年2月<br>枯木の美と怪「国立公園」1952(昭和27)年3月<br>雪山と廃道「山 二巻二号」1935(昭和10)年2月<br>七面山冬ごもりの記「山小屋」1947(昭和22)年<br>黒部川初遡行の追憶「山と渓谷」1939(昭和14)年7月<br>大雪山あれこれ「国立公園」1955(昭和30)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 132,905 字 · 262 页
嘉々堂谷、三名引谷、みな似よった支谷だ(この地方では谷を「タン」と発音する)。大支流、黒薙川の落ち合うあたりでは、本流の両崖が、幾枚折りかの大屏風のように屈曲して、河身はそのひだからひだへ、背をすりつけつつ奔下するところ、やや特異の観を呈する。ところによると、透明な無量の流水は、せまい谷底に押しあい、ひしめき、盛り上り……とろりと膏気のありそうな肌をさらして、しかも恐ろしい沈黙のうちに過ぎ去る。そうした水に枕んで、仏岩という巨岩がそびえ、それに寄せてささやかな休み茶屋がある。壁にかかったいろいろな獣の皮が、主じの生業を物語っている。石仏と獣の残骸の皮肉な対照も、荒谷の大構図の中での一小点景にすぎない。
黒部谷には実に温泉が多い。黒薙川には黒薙、二見があり、本流には鐘釣があって、それぞれ宿を営なんでいるが、その外に無人の温泉は、どれほどあるか分らない。恐らく旅人は、夏のこの谷道で、幾人かの浴客にあわないことは稀だろう。えぐったような危うい岩壁の細路で、思いもかけぬ女子供を交えた一と群れと、顔を合わすこともある。いずれも甲斐々々しい旅姿で、ある者は霊験ある山奥の出湯にやまいをなおしてもらおうと、一心にたどるもあり、あるいは楽しい入湯を終えて、家路をさして急ぐもあろう。