轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
あるはいまつのどくはく
ある偃松の独白
中村 清太郎
春雪写山行「旅」1940(昭和15)年4月<br>黒部川峡谷の話「山岳 第十二年第一号」1918(大正7)年2月<br>枯木の美と怪「国立公園」1952(昭和27)年3月<br>雪山と廃道「山 二巻二号」1935(昭和10)年2月<br>七面山冬ごもりの記「山小屋」1947(昭和22)年<br>黒部川初遡行の追憶「山と渓谷」1939(昭和14)年7月<br>大雪山あれこれ「国立公園」1955(昭和30)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 132,905 字 · 262 页
ただそれがいつ頃であったかは、まず文献にたよる外ないが、三代(西紀前千年位)には、※(始め二重山括弧、1-1-52)鼎に山川万物を図す※(終わり二重山括弧、1-1-53)とか※(始め二重山括弧、1-1-52)廟祠の壁に天地山川を画く※(終わり二重山括弧、1-1-53)などいう記録がある。それが秦漢(紀元前後)にいたって初めて遺物が現われ、輯安の古墳の壁画に、狩猟図の一部として山が描かれてある。これがおそらく山の画の最古の遺品であろう。だがいたって原始的なもので、文様を去ること遠くない程度だ。一方印度のアジャンターの壁画にも、仏伝図の背景に山があって、ほぼ同時代と見られるが、絵としてはこのほうが幾分進んでいるようだ。
晋の顧之の山になると、大分自然の趣きをそなえ、六朝(西紀四百年頃)には宋少文、謝赫などの名手が出て、山水画論も現われ、この辺で山水画の独立が基礎づけられたようだ。隋から唐に入ると、呉道玄や王維のような大才によって、初めて山水画は絵画の中心に坐ることになる。仏教が印度から支那、朝鮮を経て日本に流入するにつれ、純粋な山水画ではないまでも、山の画はその頃からわが国にも数々の遺品を留めている。