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あるはいまつのどくはく
ある偃松の独白
中村 清太郎
春雪写山行「旅」1940(昭和15)年4月<br>黒部川峡谷の話「山岳 第十二年第一号」1918(大正7)年2月<br>枯木の美と怪「国立公園」1952(昭和27)年3月<br>雪山と廃道「山 二巻二号」1935(昭和10)年2月<br>七面山冬ごもりの記「山小屋」1947(昭和22)年<br>黒部川初遡行の追憶「山と渓谷」1939(昭和14)年7月<br>大雪山あれこれ「国立公園」1955(昭和30)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 132,905 字 · 262 页
山は迫って、夏も雪を蔵しているが、一路はまず紛れもなく、半日程にして村里に通ずる。
両方から山のせまり合っていること――ちょっと想像の外だ――が、同時にまた山の深いことを思わせる。谷の幅は、山の中腹でも三町とはあるまい。陸地測量部員の測ったところでは、温泉から頭上に仰ぐ百貫山の頂きまで、直距およそ八百メートル、傾斜は三十六度三十分という事だったが……。近所に雪があるといっても、夏はずいぶん暑い。蚊もいる。そのうえ人を刺す双翅類の悪虫が四、五種はある。だが朝晩はさすがに涼しい。そしてその朝夕が、大へん長いのだ。
朝陽は、夏でもようやく七時ごろ、峡谷の側壁をなす山の凹所凹所から、谷間へ斜めに射し込んできて、もくもくと木深い山の傾斜を浮き出させるが、前山の頂きを越えて、宿の廂をのぞくのは、九時ごろになる。まして谷底の水面に達するのは、既に十時を過ぎた時分だ。午後三時といえば、日輪は早くも後山に隠れて、谷間は暮色をただよわす。峯ごしの光りだけが、前山の腹から胸、胸から首……とだんだんに移ってゆく、西山の影がそれを追うて這い登るのだ。たちまち最後の陽光が、熟した果実の色に、百貫山の峯頭を染める刻限には、宿のあちこちに燈火(石油ランプ)がちらめいて、谷底は既に夜である。