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やまのじんせい

山の人生

柳田 国男

山の人生「アサヒグラフ 第四巻第二号~第五巻第七号」朝日新聞社、1925(大正14)年1月7日~8月12日<br>山人考「大正六年日本歴史地理学会大会講演手稿」1917(大正6)年11月18日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,022 字 · 226 页

青空文庫

一五 生きているかと思う場合多かりしこと

今も時としてその姿を幽谷の間に見る者があって、土人は一様にこれを山男と名づけているが、その出身の村なり家なりでは、永くその前後の事情を語り伝えて、むしろ因縁の空しからざることを感じていたようでもあった。

一五 生きているかと思う場合多かりしこと

少なくとも血を分けた親兄弟の情としては、これが本人ただ一人の心の迷から出たものと解してしまうことが昔はできなかった。一人ではとうてい深い山の奥などへ、入って行くはずのない童子や女房たちが、現に入って行き、また多くは戻って来ぬのだから、誰か誘うた者があったことを、想像するに至ったのも自然である。実際また山の生活に関する記録の不完全、多くの平野人の法外な無識を反省してみても、かつてそういう奪略者が絶対になかったとは断言することをえない。問題はただかくのごとき想像の中で、果してどこまでは一応根拠のある推測であり、またどの点からさきが単に畏怖に基づいたる迷信、ないしは誤解であったろうかということである。

しかも自分たちの見るところをもってすれば、右の問題の分堺線とても、時代の移るにつれて始終一定していたわけでもないようである。