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やまのじんせい
山の人生
柳田 国男
山の人生「アサヒグラフ 第四巻第二号~第五巻第七号」朝日新聞社、1925(大正14)年1月7日~8月12日<br>山人考「大正六年日本歴史地理学会大会講演手稿」1917(大正6)年11月18日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,022 字 · 226 页
二〇 深山に小児を見るということ
イチは現代に至るまで、神に仕える女性を意味している。語の起こりはイツキメ(斎女)であったろうが、また一の巫女などとも書いて最も主神に近接する者の意味に解し、母と子とともにあるときは、その子の名を小市ともまた市太郎とも伝えていた。代を重ねて神を代表する任務を掌っているうちに、次第にわが始祖をも神と仰いで、時々は主神と混同する場合さえあったのは、言わば日本の固有宗教の一つの癖であった。故に公の制度としては斎女の風は夙に衰えたけれども、なお民間にあっては清くかつ慧しい少女が、或いは神に召されて優れたる御子を産み奉るべしという伝統的の空想を、全然脱却することをえなかったのかと思う。信仰圏外の批判をもってすれば、これを精神疾患の遺伝ともいうことができるが、平和古風の山村生活にあってはまったく由緒ある宗教現象の一つであった。ことにまた深山の深い緑、白々とした雲霧の奥には、しばしばその印象と記憶を新たにするだけの、天然の力が永くのちのちまで潜んでいたのである。
二〇 深山に小児を見るということ
日向の猟人の山神祭文にも、山の神千二百生まれたもうということがあるが、山を越えて肥後の球磨郡に入ると、近山太郎、中山太郎、奥山太郎おのおの三千三百三十三体と唱えて、一万に一つ足らぬ山の神の数を説くのである。