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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

アヽ降誕ト訃来ト五十四年ヲ隔ツトイヘドモソノ地相距ルコト百歩ニ過ギズ。コレガタメニ悲感更ニ深シ。浄几明水ヲ設ケ灯ヲ点ジ香ヲ焚キ破涕コレヲ記ス。」云々。

簡堂は文久二年七月三日享年七十二を以て没した。男子がなかったので林鶴梁の子綱三郎を養い家を継がしめた。その著書の重なるものは明治十二年に刊行せられた『小四海堂叢書』と明治十四年に出版せられた『簡堂叢書』五巻に収められている。わたくしは簡堂の墓を弔わんと欲して三田台町一丁目の正泉寺を尋ねたが、寺は既に壊たれて小学校の校舎が建てられていた。

三月三日蘭亭修禊の宴は羽倉簡堂の邸に催されたのみではない。飯沼弘経寺の梅痴上人もまたこの日を期して詩文の友を招いた。横山湖山がこの日両所の会に赴いたのを以て見れば、梅痴は江戸に来って某処に筵を張ったものと思われる。

米国の軍艦が浦賀に来って国書を呈したのは六月五日である。横山湖山の絶句に「海口無関碧※(「水/(水+水)」、第3水準1-86-86)漫。妖鯨出没涌狂瀾。羽書不奏安辺議。唯報夷情測得難。」〔海口関無ク碧※(「水/(水+水)」、第3水準1-86-86)漫タリ/妖鯨出没シテ狂瀾涌ク/羽書ハ安辺ノ議ヲ奏セズ/唯夷情測リ得ルコト難キヲ報ズルノミ〕