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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

郷里に帰った後兄毅堂に代って家を継ぎ母に事え門生を教授し、明治二十六年五月十二日、享年六十二歳を以て没した。蓉裳の次男順光が現在尾張丹羽なる鷲津家の当主である。

九月二日に梁川星巌が京師に没した。享年七十歳である。病は暴瀉だという。星巌の忌日を或書には九月四日となしているが、鈴木松塘の『房山楼詩稿』に「横山舒公ノ信ニ接シ星巌先生九月二日ヲ以テ館舎ヲ捐ツト聞キ位ヲ設ケテコレヲ哭ス。」としてある。わたくしはこれに従った。

九月九日重陽の佳節に飯沼弘経寺の住職梅痴上人が俄に病んで寂した。享年六十六。増上寺学頭職より進んで結城弘経寺の住職となること六年。転じて飯沼にあること十三年。この年昇進して鎌倉光明寺に移るべき台命を受け、江戸に来って三日の後俄に病んで寂したという。大槻磐渓がその『詩鈔』の自叙に、「余飯沼ノ梅痴上人ト文字ノ交ヲ訂スルコト此ニ年アリ。今秋マサニ鎌倉移住ノ命アラントス。都ニ出デゝ三日奄然トシテ寂セリ。(中略)哀イカナ。戊午晩秋十三夜月明ノ窓下ニ涙ヲ拭ヒ敬ンデ書ス。」としてある。上人の病は想像するに流行の暴瀉ではなかったろうか。大沼枕山は輓詩七言律五首を賦した。