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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

の先鋒は早くも砲火を交るに至った。この時慶勝は瘧を患い出馬することを得なかったので、二日の深夜その家老成瀬隼人正正肥に鷲津毅堂を随伴せしめ、越前宰相松平慶永の邸に赴き善後の策を講ぜしめた。

正月六日徳川慶喜が松平容保、松平定敬、板倉勝静らを従えて海路を江戸に走った。

正月十五日徳川慶勝が朝廷に暇を請うてその重臣一同を従えて帰藩した。藩の目付吉田猿松という者が上京して名古屋の家臣中幕府に応援せんと欲するものが当主元千代を擁して江戸に走らんとする風説を伝えた故である。慶勝は二十日名古屋に帰城した当日、年寄並渡辺新左衛門(年四十九)、城代格大番頭榊原勘解由(年五十九)、大番頭石川内蔵允(年四十二)の三人を召して二の丸向屋敷に斬首した。この日より続いて二十五日に至るまで死刑に処せられたもの都て十四人に及んだ。かつて明倫堂の督学であった冢田大峰の義子謙堂(年六十一)も二十一日に刑せられた者の一人であった。以上は名古屋市役所の編纂した『名古屋市史』に由って記した。この事件あってより尾張一藩は挙って勤王党に与することとなった。

正月二十九日毅堂は御広敷御用人を仰付けられ御小納戸頭取を兼ね、明倫堂督学はこれまでの通り、御足高百俵を給せられた。