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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
名古屋藩ではこの時勤王誘引係と称するものを設け、係員を近隣の諸藩及幕府旗本の采邑に派遣して、勤王に与みすべき事を遊説した。誘引係の長には鷲津毅堂と丹羽淳太郎の二人が任命せられた。丹羽淳太郎は後に司法省の判事となった人で、花南と号して詩をよくした。勤王誘引係の部員の中わたくしの人名を知り得たものは服部親民、青木可笑の二人のみである。青木可笑、字は陽春、鷲巣と号し後に樹堂と改めた。尾張知多郡大高村長寿寺の住職。後に還俗して東京に来り大蔵省に出仕し明治十四年四月享年七十五を以て没した。晩年の著に『江戸外史』五巻、『皇漢金石文字一覧』一巻等がある。わたくしの先人永井匡温は始め青木可笑に従って詩書を学び、尋で毅堂の門生となったので、可笑の没後その詩稿を編んでこれを刻した。毅堂の撰に係る墓碑銘の略に曰く「アゝ青木君樹堂ノ墓。余ノコレニ銘スルニ非ラザレバ誰カ与カランヤ。元治甲子ノ歳余江戸ヨリ郷里ニ帰省ス。途名古屋ニ留ルコト数日、君逆旅ノ主人ヲ介シテソノ著ス所ノ『徳川氏史稿』四巻ヲ以テ贄ヲ為シテ謁ヲ乞ヘリ。乃命シテコレヲ延ク。円顱方袍。挙止安詳。坐定ルヤコレト与ニ古今ノ得失ヲ談ズ。