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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
是を以て見るも当時詩賦の盛であったことが知られるであろう。
当時春濤枕山ら諸名家の好んで詩筵を張った処は不忍池上の酒亭三河屋であった。亭主の名が長太というところから、詩人はこの酒亭を呼んで長亭となしまた長蛇亭となした。不忍池の周囲が埋立てられて競馬場となったのは明治十八年頃である。さればこの時分には池塘の風景は天保の頃梁川星巌が眺め賞したものとさして異る所がなかったわけであろう。
酒亭三河屋は弁才天を安置した嶼の南岸にあった。維新以前には嶼の周囲に酒亭が檐を接していたのであるが、維新の後悉く取払われて独三河屋のみが酒を掲げることを許された。これは主人長太の妹お徳というものが東京府に出仕する官吏の妾となっていた故であったという。わたくしの母の語る所を聞くに三河屋の妹徳は後に池の端に待合茶屋を出した。また三河屋の娘お福は詩会の散じた折にはしばしば妓と共に毅堂の帰を送って竹町の邸に来た。その後三河屋が破産してからお福は零落して三味線堀の小芝居柳盛座の中売になっていたそうである。明治三十二、三年の頃わたくしは三河屋のあった所に岡田という座敷天麩羅の看板の掲げられてあるのを見た。