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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
書簡は文学博士新保磐次氏の編輯した『香亭遺文』に載っている。書簡に曰く「王道焜書幅御手に入りたる由、字数も五十余字ありとの事、値も随分貴く定めて名幅の事と想像致候。右は故鷲津毅堂の所蔵なりし趣、過る御通信中斎藤君の大金を捐てゝ加納屋より得られたる画帖も本は毅堂の所有品なりしとの事。僕少年の頃枕山並に毅堂などの尻ツぽに附て東叡山あたりの詩会に赴きし頃毅堂程の貧乏人はなかりしかど、後には大層工面をよくしたるものと見えたり。(略)是はちと余計なことなれど同人の昔の境界を存じ居るゆゑ筆次手に茲に及び候也。(略)」
毅堂は小柄ですこし前へかがんで歩む癖があった。面長で額はひろく目は大きく眉は濃かったので、壮年の頃には白井権八と綽名をつけられたほどの美男子であった。そして言語には尾張の国訛りがなく純然たる江戸弁であったそうである。三島中洲のつくった碑文には「君ハ眉隆準、孱然タル虚弱、容ハ常人ヲ踰エズ。」としてある。
毅堂が晩年往々にして人より倨傲の誹を受けたのは全く故なき事ではない。毅堂は三礼の攻究に最力を尽した学者で、その平生においても辞容礼儀には極めて厳格で毫もこれを忽せにしなかった。