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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
かつまた毅堂は軽々しく人と交を結ばず、その門に来って教を受けようとするものがあってもその人物を見た後でなければ弟子たることを許さなかった。学者にして斯くの如き性行を有するものは往々誤って辺幅を修るものと見なされやすい。毅堂はまた甚しく癇癖の強い人であったので、動もすると家人に対しても温辞を闕くことがあった。門生はいつも「お前たちは蒟蒻の幽霊のようだ。」と罵られた。蒟蒻の幽霊とは柔弱にして気概なきことをいったのであろう。晩年家にあって『毛詩』の講義をなし、また神波即山の依頼に応じて本郷竜岡町なるその詩社に赴いて講義をなしたが早口で声が低いところから聴講の書生には少しも喜ばれなかったという。
岩渓裳川翁の『詩話感恩珠』に曰く、「明治十一、二年頃なりし。神波即山君が官を罷めて専斯道に従事せらるる事になり月に一、二回ずつ竜岡吟社に会を開き鷲津先生が詩経の講義あり。先生は詩の一章一句の講義を終るごとに必ずこういうても皆には分るまいとの語を添え、または斯く講じてもその意を解し得まいとの語を加えらる。この会に莅む者は多くは初学の徒にして詩の何物たるを知らざるより先生の講義を聴きその解を得んと思うなるに、こう説いても分るまい、こう講じても解し得まいと言われては聴者の耳が悪しきか、講者の口が善からぬ歟、少しく判断に苦しむ