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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
注ニ寒甚シク夜気霧ノ如ク木上ニ凝ル。旦ニ起キテコレヲ視レバ雪ノ如シ。斉人コレヲ※淞トイフ。詩仏ノコノ作アルイハ南豊ノ詩ト駢伝スベキ也。」
竹渓は文政九年の春も暮れて楝の花の咲きかけた頃病に臥した。「病中児ニ示ス。」という七律の作がある。しかし病は軽くして程なく癒えたのであろう。竹渓は二、三の詩友と舟を隅田川に泛べて残花を賞し、また谷中にある林述斎の別墅をも訪うた。
林述斎は林家八世の祭酒である。平生その身厳職にあるがため山水風月の間に放浪自適する暇がないので、都下に幾個所も別荘を築いて林泉に心を慰めたという。佐藤一斎の撰んだ墓誌に、「ソノ剏ク所ノ園林ハ方向位置自ラ一種ノ幽致アリ世好ト同ジカラズ。」と言ってある。述斎が造庭の趣味は世間一般と同じでなかった。石を置けば必松を栽うるというような極りきった形式は述斎の能く忍得るものではなかったのであろう。「別墅ノ谷中ニアル者園ヲ賜春ト名ク。多ク春花ヲ植ヱ、氷川ニアル者園ヲ錫秋ト名ク。多ク秋卉ヲ※ウ。而シテ石浜ニ鴎アリ。溜池ニ八宜アリ。青山ニ聴松アリ。」と墓碑銘に言われている。
竹渓が林家の門に出入するの栄を得たのはいつの頃に始ったのか知るよしがない。