轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
しかし谷中の別業には既に度々招かれていたことは「初夏ノ二十三日林公ガ日暮ノ村荘ニ遊ブ。」七律の起句に「幾回卜日幾回違。」〔幾回カ日ヲ卜シ幾回カ違フ〕の七字によって知られる。殊更に春咲く花を多く栽培したという谷中の賜春園もその日(文政九年四月二十三日)には、大方の花は既に散尽して青葉ばかりとなり、崖上から吹き来る風に椶櫚の実はゆらめき、雨後の地湿り乾きもやらぬ木立の茂みには筍が伸びかけていた。
それから半月あまりを過ぎて、蓮の巻葉もすっかり舒び拡がった五月の十六日、谷中の別園に再び林氏の詩筵が開かれた。その日招れた賓客は当時の列侯中博学を以て推重せられた冠山松平定常、土岐八十郎、幕府の奥儒者成島東岳の養子稼堂、主人述斎の六男林復斎、佐藤一斎の門人安積艮斎及び大沼竹渓その他合せて九人であった。この九人の中姓名の判明している人で最高齢であったのは竹渓である。次は松平冠山と林述斎。また最年少なのは成島稼堂であった。
林述斎が谷中別墅の光景は主人述斎が『谷口樵唱』、および佐藤一斎が『六閑堂記』などについて見ればほぼこれを窺知ることが出来る。『谷口樵唱』は述斎がこの別墅に遊ぶたびたび賦した絶句を収録したもので、その序詞に「文化戊辰重八」