轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

わたくしは少時捨吉が伊庭氏に従って剣術を学んだという事を佐藤牧山の『牧山楼詩鈔』に加えた枕山の批語についてこれを知った。しかしこれ以外には、捨吉が十八歳になるまでの間の事については全く知る所がない。十八歳の秋、天保六年乙未の年には捨吉は尾張国丹羽郡丹羽村なる叔父鷲津松隠の家にあった。

わたくしが枕山の女芳樹女史を訪うて親しく聞いた所によると、捨吉は叔父次郎右衛門とは折合がよくなかったので、僅少の金子をふところにして家を出で道中辛苦して尾張に往ったという話である。しかしその年月を詳にしない。

天保六年大沼捨吉が鷲津氏の家塾に寄寓していた時、松隠は隠居し嫡子徳太郎が家学をついで門生を教えていた。徳太郎、名は弘、字は徳夫、益斎と号しその家塾を有隣舎と名けた。益斎は時に年三十二。妻磯貝氏貞との間に既に三人の子があった。伯は通称郁太郎後に貞助また九蔵。名は監、字は文郁、号を毅堂という。しかしこの年にはまだ十一歳の小児である。次は女子某。叔は通称五郎、名は光恭、字は子礼、蓉裳と号す。この年には僅に三歳である。鷲津氏の家にはこの他に益斎の弟又三郎というものがいた。