轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
又三郎は後に大沼次郎右衛門基祐の家を継ぎ下田奉行手附となった人である。この時に年十八。既に江戸にあったか否かは詳でない。
天保六年乙未の歳も早く秋となった時、大沼捨吉は再び江戸に還ろうとしていたのである。事は森魯直の『春濤詩鈔』に載っている。
森魯直、通称は春道、字は浩甫、春濤と号す。尾張一ノ宮の医森一鳥の長子で、この時年十七。鷲津益斎の家塾に学んでいた。
『春濤詩鈔』巻之一、「江楼夜酌。大沼子寿ニ贈ル。」と題する七律に「涼秋八月蓼花天。一笑相逢亦偶然。」〔涼秋八月蓼花ノ天/一笑シテ相逢フハ亦偶然〕の語を見る。子寿は捨吉の字である。名は厚。既に枕山と号していたか否か明でない。しかしわたくしは以後捨吉の名を記する所に枕山の号を以てする。枕山の号は人口に膾炙しているが故である。
春濤が枕山に贈った他の七律に曰く「妙齢固有好容儀。更見嶄然頭角奇。三日不逢人刮目。百年何愧豹留皮。新秋風月扁舟夢。故里煙花艷体詩。聞説東帰期在近。天辺岳色映朝曦。」〔妙齢固ヨリ好容儀有リ/更ニ見ル嶄然トシテ頭角奇ナリ/三日逢ハザレバ人刮目ス/百年何ゾ愧ヂン豹ノ皮ヲ留ムルニ/新秋風月扁舟ノ夢/故里煙花艶体ノ詩/聞説ク東帰期近キニ在リト/天辺岳色朝曦ニ映ズ〕