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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

江戸下谷に生れた枕山の風采は春濤の言うが如く丹羽村の人々の目には「好容儀」であったに相違ない。その承句「更見嶄然頭角奇」〔更ニ見ル嶄然トシテ頭角奇ナリ〕は言うまでもなくその人の才気を称したものであろう。しかしわたくしはこの語によってたまたま枕山は背のすらりとした人で、顔は長く額の高く出ばっているのが目に立つほどであったという或人の談話を想い起した。

一日有隣舎の諸生が益斎先生の蔵書を庭上に曝して、春濤にその張番をさせたことがあった。春濤は番をしながらも頻に詩を苦吟していたので、驟雨の灑ぎ来るのにも気がつかなかった。折から枕山も苦吟しながら外をあちこち歩いている中溝へ墜ち泥まみれになって帰って来た。塾生らは苦吟のために一人は曝書を雨にぬらし、一人は衣服を泥にしたと言って笑った。この事は二人が詩を好むこと色食よりも甚しきを証する佳話として永く諸生の間に伝えられた。当時十一歳の小児であった毅堂文郁は後年戯にこの事を賦して春濤に贈った。「旗鼓東西壇※開。以詩為命況天才。当年佳話吾能記。高鳳庭前漂麦来。」〔旗鼓東西壇※開キ/詩ヲ以テ命ト為ス況ヤ天才ヲヤ/当年ノ佳話吾能ク記ス/高鳳庭前麦ヲ漂シ来ル〕