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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
菊池五山がかつて枕山の父竹渓と交をなしていた事はしばしば前章にこれを述べた。枕山が始めて五山をその家に訪うた時、五山は枕山の敝衣をまとっているのを見て、乞食ではないかと思い戯にその詩才の如何を試み驚いて席を設けたという。この逸事は人名辞書のたぐいには大抵載録せられている。枕山が敝衣をまとうて五山を訪うたのは「天寒クシテ客衣ノ単ナル。」を歎じつつ江戸に還り来った当時のことであろう。しかしその時五山が亡友竹渓の遺子に枕山のあることを心づかなかったというのは頗怪しむべき事である。もし仮に然りとすれば年少後学の枕山は父の友であった五山に対してまず刺を通じて、然る後徐に謁を請うべきはずであろう。諸書に採録せられたこの逸事談は五山をして甚しく尊大の人たらしむるに非ざれば、枕山をして殆礼を知らざるものたらしむる嫌がある。わたくしはこの事を以て斉東野人の語に出でたものではないかと疑わざるを得ない。詩仏五山は倶に枕山の亡父竹渓の友であった。この二家と並んで天保の頃江戸詩人中の耆宿を以て推されていたものは、目白台に隠棲した館柳湾、その弟巻菱湖、下谷練塀小路の旗本岡本花亭の諸家である。