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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
席間の作中「客来窮巷深泥裏。門掩連陰綿雨時。三載淡交直如水。一宵清話自成詩。」〔客ハ来リ窮巷深泥ノ裏/門ハ掩ヅ連陰綿雨ノ時/三載淡交直水ノ如ク/一宵ノ清話自ラ詩ヲ成ス〕という聯句がある。雲濤が海棠詩屋は狭い路地の奥にあったと見える。霖雨のために路のわるかった事は昔も今も変るところがない。
竹内雲濤は江戸の人、通称を玄寿、名を鵬、字を九万という。雲濤また酔死道人と号した。西島大車のつくった墓誌によるに、雲濤は小倉藩の医山上準庵の次男で、同藩の医竹内氏の家を嗣いだが、医者となることを好まず、梁川星巌に従って詩を学び、某氏の子を養って家をつがせた。後に養子が罪を得て主家を追われたため、雲濤は家族を引連れ諸処に流寓していたという。横山湖山の「詩屏風」に雲濤の為人を記して次の如くに言ってある。「九万ハ性放誕不羈、嗜酒任侠、動モスレバ輙チ連飲ス。数日ニシテ止ムヲ知ラズ。ヤヽ意ニ当ラザレバ則チ狂呼怒罵シテソノ座人ヲ凌辱ス。マタ甚生理ニ拙シ。家道日ニ日ニ艱シム。琴嚢書典売シテ殆尽ク。是ヲ以テ朋友親戚挙ッテソノ為ス所ヲ咎ム。シカモ九万傲然トシテ顧ズ。誓フニ酔死ヲ以テ本願トナス。