轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

」と言っているのに、湖山は「星巌先生ノ美濃ニ還ルヲ送ル。」となし、また鈴木松塘は「星巌先生西ニ帰ル云々。」と言っている。わたくしは枕山の女芳樹女史を訪うてこの事を問うたが女史の言う所もまたわたくしの推定に違わなかった。

星巌の去った後、玉池吟社の跡は化して何人の居となったのであろう。近年星巌の伝を詳にしたものは、わたくしの知る所では町田柳塘の著書より外にはない。しかし町田氏の著述はわたくしの知りたいと願う所を語っていない。蒲生※(「耿/衣」、第3水準1-91-83)亭の『近世偉人伝』を見るに小野湖山は註して「備後ノ五弓士憲カツテ翁(星巌)ノ年譜ヲ作ル。イマダ世ニ行ハレズ。惜シムベシ。」と言っている。嘉永五年に湖山がお玉ヶ池に居を卜したことがあるが、それは星巌の旧居より少しく隔った地蔵橋のほとりであった。湖山の家はいくばくもなくして火災に罹り、その後江戸時代には再び詩人の来ってこの地に卜居する者はなかった。世態一変して後明治七、八年の頃に至り名古屋藩の医にして詩を森春濤と鷲津毅堂とに学んだ永阪石が、星巌の邸址を探り求めて新に亭を築き、顔して玉池仙館と称した。