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やまのじんせい

山の人生

柳田 国男

山の人生「アサヒグラフ 第四巻第二号~第五巻第七号」朝日新聞社、1925(大正14)年1月7日~8月12日<br>山人考「大正六年日本歴史地理学会大会講演手稿」1917(大正6)年11月18日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,022 字 · 226 页

青空文庫

かつて旧知の鈴木鼓村君から、またこんな話を聴いたこともある。鈴木君は磐城亘理郡小鼓村の旧家の出で、それで号を鼓村といっているが、今から百二十年ほど前の鈴木君の家へ、おりおりもらいにくる老人があった。人と物をいわず、物を遣ると口の中で唱え言をするが、何をいうのか少しも聴取れない。飯は両手に受けて副え物もなしに、髯だらけの顔をよごして食う。酒は大好きで、常に一斗二三升も入るかと思う大瓢箪を携え来り、それに入れて遣るとすぐに持って帰る。衣類は着けているが、地合も縞目も見えぬほど汚れていた。生の貝をもらって、石の上で砕いて食ったといって、人は戯れにこれをアサリ仙人と呼んでいた。何処に住む者とも知れず、七日も十日も連日くるかと思えば、二月も三月も絶えてこぬこともあった。帰る際にその跡をつけた者があったが、山に入ると急に足早になり、たちまちにその影を見失った。小鼓は阿武隈の川口であって、山は低いけれども峯は遠く連っている。このアサリ仙人は或る日の朝、鈴木氏の玄関の柱にその大瓢箪をくくりつけて置いて、それっきり永久に遣ってこなくなった。この話には誤伝がないともいえぬが、瓢箪だけは最近に至るまで、この家の宝物の一つであった。