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やまのじんせい
山の人生
柳田 国男
山の人生「アサヒグラフ 第四巻第二号~第五巻第七号」朝日新聞社、1925(大正14)年1月7日~8月12日<br>山人考「大正六年日本歴史地理学会大会講演手稿」1917(大正6)年11月18日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,022 字 · 226 页
およそ馬に二駄ほどのマダの皮であったという。それから以後は毎年同じ日に、この家の庭上でいわゆる無言貿易は行われたのだが、今の主人の若年のころから、どうしたものか餅は供えておいても、マダの皮は持って来ぬようになったといっている。
『津軽旧事談』に『弘藩明治一統志』その他を引いて、岩木山の大人と親善だったと記しているのは、麓の鬼沢村の弥十郎という農夫であった。これはのちに自分もまた、大人となって行方を知らずとも伝えられる。彼は最初薪を採りに入って偶然と懇意になり、角力などを取って日を暮し、素手で帰ってくると必ず一夜の中に、二三日分ほどの薪が家の背戸に積んであった。或いはまた大人が弥十郎を助け、新たにこの土地を開発したのだともいい、また赤倉の谷から水を導いて村の耕地に灌漑したのも、同じ大人の力であったと称して、その驚くべき難土木の跡について、逆さ水の伝説を語っている。村の名の鬼沢と産土の社の名の鬼ノ宮とは果して今の口碑の結果であるか、はた原因であるかを決しかねるが後々までも村に怪力の人が輩出したといい、或いはまた大人が鎮守を約諾して、そのかわりには五月の節供に菖蒲を葺かず、節分に豆をまくなかれと言ったとあって、永く正直にこの二種の物を用いなかったのは少なくとも近代の雑説ではなかった証拠である。