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はなとりゅう

花と龍

火野 葦平

花と龍「読売新聞」読売新聞社、1952(昭和27)年6月20日~1953(昭和28)年5月11日<br>あとがき「花と龍(下巻)」新潮社、1953(昭和28)年7月31日<br>解説「火野葦平選集 第五巻」東京創元社、1958(昭和33)年

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 410,131 字 · 824 页

青空文庫

さらに、音を立てて、鱗が落ちる。

まっ青な天には、相かわらず、白馬の群が快適な逸走をつづけている。

力尽きようとしたとき、瀕死の耳に、

「あなた」

女の声が、息のかかる近さで聞えた。

龍は七転八倒するのをやめて、耳を傾けた。

その声は、聞いたことのあるような声でもあれば、まるで知らない声のようでもあった。毎日聞きなれた声のようでもあり、一度も聞いたことのない声のようでもある。

しかし、その声が、ふたたび、

「あなた」

前よりも、一層大きく、近く、鼓膜をふるわせてひびいたとき、金五郎は、全身に電流のようなものがつたわるのを感じた。すると、地面に、花びらをまき散らしたように、剥げ落ちていた鱗が、あたかも、強力な磁石で吸いよせられるように、一枚ずつ、音を立てて、身体に飛びかえって来た。気がつくと、いつか、前肢には、ふさふさとした菊の花束が握られている。

その美しい花の色が眼を射、強い芳香が鼻孔をえぐったとき、龍は、唐突に、一つのことを思いだしていた。一間四角の箱である。それは、上海コレラ騒動のとき、とじこめられた掘立小屋だ。この箱の中にさし入れされた、菊の花のにおいにむせたことがある。