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はなとりゅう
花と龍
火野 葦平
花と龍「読売新聞」読売新聞社、1952(昭和27)年6月20日~1953(昭和28)年5月11日<br>あとがき「花と龍(下巻)」新潮社、1953(昭和28)年7月31日<br>解説「火野葦平選集 第五巻」東京創元社、1958(昭和33)年
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 410,131 字 · 824 页
戦争で玉井組がなくなったばかりか、昭和二十年六月二十五日、強制疎開によって、私たちの生まれ育ったなつかしい正保寺町の家も引きたおされてしまった。現在は山手通の家に住んでいるが、そこの柱には、例の八角時計が古ぼけた姿でかけられてある。しかし、ネジをかければまだちゃんと動く。明治三十九年は私の生まれた年、玉井組の初まった年、そして、この四円七拾銭の柱時計がその記念に買われた年であった。この時計の音をききながら、毎日、老母マンが相かわらず好きなキザミをのみながら、遠い日をなつかしむ目つきで、顔の皺を増やして行くのである。
英国戴冠式と、世界ペン大会とのためヨーロッパに行くことになって、若松を出発したとき、「お父さんが生きとったらどんなによろこぶことじゃろか」といって、母は涙をためた。私も涙が出た。今夜、八時半のエール・フランス機で羽田から発つ。明後日の朝はもうパリーだ。幾度か戦線に出発するため、父母の見送りをうけたが、今度は命の心配はない。鉄砲も刀も持たず軽い背広の手ぶらである。そして、私は母のための土産をなににしようかと考えた。口紅も香水もいらない母だ。