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じろきちこうし

治郎吉格子 名作短編集(一)

吉川 英治

Read 治郎吉格子 名作短編集(一) (じろきちこうし) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 178,609 characters · 362 screens

Aozora Bunko

あわてて、伝馬牢のお仕着に着かえ直した彼は、赤合羽を貰って、頭からかぶると、裏口から夜明けの町へ駈け出した。

伝馬裏の沼の中へ、合羽をすてて、ゆうべの梅の木を足場にして、牢内へ飛び降りた、豚小屋みたいな牢番長屋から、薪が燃えいぶっていたけれど、気のつく者はなかった。

「やあ、お帰り――」

と、蔵六は、彼を牢へ迎え入れた。

まるで、主人に仕えるように、

「寒かったろう」

と、犒った。そしてすぐ、

「ゆうべは、分ったろうな。間違いなく、自家の窓へ――」

「ああ、入れておいたから、帰ったら、探してみねえ。百両も――と思ったが何しろ五重の塔から持って降りるにゃ、二十両が関の山なんだ」

「結構結構。それだけあれば一時のしのぎはつくからなあ」

番交代を待ちかねて、蔵六は、家へ帰って行った。

心も体も、雲霧は、綿のように疲れはてた。といって、眠気もささない。頭の中はあの土蔵の闇を詰めて来たように、混濁している。――消そうとすればするほど、薄命な女の死に顔や、因果な子の乳の香が、そこらに、ちらつく。

もっそう飯も、今朝ばかりは、食う気がしなかった。

午近くなると、伝馬役所の空気は、何となく、騒がしく感じられた。